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Special
逆境の海を超えたアムリ 米たにヨシトモ監督・スペシャルコラム

その1>>完全立体列伝


3年の歳月をかけて遂に完成したOVA『星の海のアムリ』全三巻。
この作品に取りかかる前から、フル3D作品には何度か携わってきたのだが、その経験から、監督からのオーダーに対して「大丈夫です」と応えたCGワーカーさんほど、実はオーダーの本質が読めてないことが多いと感じていた。


CGはデータの世界である。
望んだ映像が出来るか出来ないかだけではなく、パソコンがその重いデータを処理するだけのスペックを備えているのか、スタッフ全員が理解して量産できる処理内容にまとめられるのか、3話合計で1200カットもの映像を作り込まなければならないため、そういった細かいパワー配分を考慮した上でのモデリングや映像処理技術が求められる。
ソフト自体の開発がまだまだ遅れているCG業界にとって、熟練されたスタッフがいない、この作品のスタートは無謀とも言える船出だった。
「やってみます」「がんばります」「たぶん大丈夫だと思います」 自分がどんな次元の仕事を任されているのかすら読めていないスタッフたちは、監督の危惧など微塵も感じずに、泥で出来た舟に気付きもせず出航を開始した。


さて予想どおり、泥舟は次々に転覆していく。
物凄く頑張って作り込んだ宇宙ステーション真珠貝は、CG上での立体造型物として、あまりにも細かい彫り込みが多く、結果データ量が膨大になり、パソコンがフリーズする事態に陥った。
本来、細かい部分はシールのように二次元の模様を貼り込んで立体に見せかけるのが定石である。
 しかも高画質を追求したためにあり得ないほどデカイ画像サイズ。
真珠貝の周囲に浮かんでいる衛星・フリーフライヤーや、信号灯の明滅光点など、ありとあらゆる細かいモノを排除しなければ、真珠貝の画像は動いてくれず、結果なんともスカスカな低クオリティに見える、頑張ったはずがむしろ逆効果な結果に…。
2話、3話と少しずつそういった技術的な部分を修正して、最後はかなりのハイレベル画像にまで辿り着いたが、監督からしてみれば最初からやってほしかった…がホンネ。
スタッフに経験値を積ませるために2年も使ってしまったわけだが、それでスタッフが育てばまだよかった。

様々な理由により途中でスタッフが抜けていくため、引き継いだ新しいスタッフはまた初めから経験を積み直すことになる始末。
細かい美術設定を作り込んできたスタッフも途中で抜けて、そのスタッフが入る前の状態に戻して新たなスタッフで再びやり直し。しかしその新スタッフもまた抜けて…。
このまま無限ループが続くんじゃなかろうか…。
そんな途方に暮れた時期もあった。


 更に泥舟は沈む。
メインキャラクターのモデリングを担当しているMA@YA氏の使っている3Dソフトと、映像制作のスタジオ雲雀で使っているソフトが違うため、データを移行すると、若干ではあるがキャラが変化することが発覚!
アムリの顔つきがちょっと違う!
手描きアニメでいうところの、原画を動画にクリンナップしたら、線が死んで見える現象?
結局、データの世界でありながら、人の手でモデルを修正していくことに…。


 そうこうしているうちに、長く作業をしすぎたせいか、メインスタッフの思考回路が「キャラ更新した方がよくね?」という流れになってきた。
これも最初に危惧していたことだが、長期スケジュールのCG作品は、作っているうちに周囲の流行や技術がどんどん先に進むため、最初に作ったものが古く感じてきてしまうのだ。
過去の仕事でもほぼ100%、メインモデルをやり直す結果に陥っている。
アムリに於いても例外なくその状況に陥り、最初のキャラはそれなりに思い入れがあったのだが、破棄して新たなアムリを誕生させることになった。


いったい、いつになったら1話が出来上がるんだ?
アクターによるモーションキャプチャーや、アニメーターによるキイポーズガイドも一切使用せずにフル3DのOVAを作る、という前人未踏の大航海に出ているにも関わらず、その覚悟も認識もなかったがために次々と戦線離脱していくクルーたち。
船長たる監督は無謀なるドン・キホーテか白鯨に挑むエイハブ船長か?
最初の大艦隊は次々に巡洋艦を失い、わずか数隻となっても尚、大海原を突き進む。
途方もない航海の先にはまだまだとんでもない逆境が待っているのだが、それはまた次回にお話ししよう。




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その2>>予算崩壊神話


TVシリーズのアニメは一度作ったメイン設定を最終回まで流用できる。
視聴率が低迷してもビデオ化で敗者復活を果たした作品も山ほどある。
劇場作品も映画館で上映した後、ビデオ化により二度稼げる。
だが!

01ビデオのみの一回勝負しかできないOVAはいろんな意味で不利だ。
『星の海のアムリ』は3話構成のため、メイン設定は3回分しか流用できないが、実はそれどころか、3Dゆえに様々なエラーが出るため、毎回モデルを改修しなければ、要求した演技が出来ないことが判明。なんとも非効率的な!
しかも全話繋げれば劇場映画と同じくらいの長さになるのに、予算は劇場作品の半分以下。
30分おきに設定が新作されていく贅沢な劇場作品を低価格で作るようなものである。
毎週のサイクルで作業工程が決められているTVシリーズと違い、いつ何がどう作業されるのか月単位で動くOVAでは、分業がシステム化されたワークフローも組めない。
スタッフは他のメインとなる他の仕事をこなしながら、片手間で作業しなければ生活維持費を捻出できないのが現実である。
予算を無駄遣いしないよう効率的に作らなければ計画そのものが崩壊するのだ。


023Dアニメで2Dアニメ的なハイクオリティ作品を作ろう!という試みに、クライアントも《豪華なTVシリーズ》ほどの予算は用意してくれた。
正直言うと、予算配分は監督に決めさせて欲しかったが、制作会社の立場もあるので仕切りは任せた。が、これが意外に盲点だった。
大人の事情もあるので詳細は伏せるが、設備投資や人材確保は頑張ってやってくれたものの、それが作品に生かされずに終わるケースが続くことになった。
制作会社が悪いわけではない。様々な空回りで予算を使い果たし、会社自体が持ち出しの予算を補充して作業存続が叶ったので、むしろその健闘は賞賛に値する。
だが、そこに至るまでの予算組みはしんどかった。
監督の給料はけっして安くはないが、3年のうち、給料が出たのはわずか9ヶ月間。
残りの2年3ヶ月は、電撃大王連載のコミック版原作料や、他の仕事の掛け持ちでなんとか凌いだ。ちなみにこの作品の場合、コミックはOVAの続編になるため、ストーリーの流用が利かない。コミックオンリーの全話数シナリオとラフ設定を起こしているので、いわゆる普通の漫画原作者と同等の仕事量である。

03それだけではない。
OVAは、キャラソンCDに連載している小説版のアフターストーリーになるため、小説→OVA→コミックの順に全ての辻褄が合う物語でつながり、お互いに細かくリンクする謎解きを果たすよう構成している。そんなややこしい仕事を他の誰かに振るのは大変なので、当然ながら自分で書くしかなかった。
音楽予算もギリギリで無駄には遣えないため、小説原稿料はいただいてない。
作詞やら声優、歌唱など、とにかく自分で出来ることは何でもやって予算を浮かした。
この作品に、通常のアニメでは当然存在する作画監督、美術監督、色指定などの作業者が不在の理由もわかっていただけたであろうか。
そういった作業は、CGIディレクターをはじめとするメインスタッフと一緒にこなした。
それでも毎月給料が発生する正社員は、どうしてもコスト高になってしまうため、出来る限り、一定額で作業してもらえる外部スタッフに発注してもらうよう促した。
事件はビデオ編集室で起きている。
といっても過言でないほど、編集という役職名でしかクレジットされない外注スタッフと共に、CG作業とは別に、何日も缶詰になって映像クオリティの底上げ合成作業を続けた。
通常なら予算を軽くオーバーする仕事量を一定額でこなしてくれたスタッフにひたすら感謝である。


しかし、それでも予算は足りなくなった。
一体何に使ったんだ?とツッコミたくもなるが、時間がかかれば、それだけでお金がかかる。フル3Dゆえに24時間稼働するパソコンや、加熱する膨大なデータ量のサーバーを冷却させる高熱費用だけでも結構かさむので仕方ない。
全予算を使い果たした制作会社は、CG作業の人材を確保するのが不可能な状況にまで陥った。どうする?この作品は未完成で終わらせるしかないのか?
その時、監督が予想もしなかった、学徒動員作戦が発令されようとしていたのだが、波乱に満ちたその出来事は、また次回にお話ししよう。



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その3>>新人育成作戦


とにかくこの作品は、通常必ず存在する制作管理スタッフすら不在だった。
会社の内部事情もあり、CG部だけが独立していた時期が長かったせいもある。
いや、作品の立ち上げ時にはそのCG部すらなかったので致し方ない。

会議も、作業スタッフだけで行うことも多く、議事録をまとめるのも結構しんどかった。
地方在住のメカデザイナーとの会議はネット上の無料コミュニティを利用した。
これは制作進行いらずの活気的なシステムで、未だにコミック版の会議で活用している。
高解像度の画像データのやりとりも無料のファイル転送サービスでかなりまかなえた。
監督自ら作業スタッフへの伝達メールを送ることも多く、各作業指示の連絡だけで一日三時間かかることもしばしば。最初の1年は制作会社内部に監督の席もないほど手狭だったので、絵コンテなどのかさむ紙媒体の原稿などはスキャン転送するよりバイク便を自腹で活用して時間短縮を試みたりもした。

そしてやっと制作進行なるスタッフが参加することになったのだが、業界経験などないに等しい新人なので、1から仕事を教えるところから始まるわけで…。
OVAのようなハイクオリティ作品に新人を起用するとはなんとも大胆な発想だが、何事も修行して人材は鍛え上げられていくもんだしね。
だが、それだけではなかった。

最初に作業していたCGスタッフも、次々と別の最前線の仕事にかり出され、代わりに新人が送られてくる繰り返し。
やがてスタッフのほとんどは新人になるが、当然ベテランのような短時間で高品質のCGをどんどん作り上げていく技量などなく、苦戦を強いられる。
幼稚園児に「因数分解を解け」と言ってるようなもので、監督の要求していることの半分も理解していない様子。
作業が終わらないので当然また人手不足に陥り、インターンに作業させることに。
つまり、CG学校に通う学生に授業の一環で来てもらって実作業をこなしてもらうわけだ。
う〜ん、監督としては外部のベテランスタッフに発注してもらった方が、スケジュールも予算も内容も全てにおいて無駄なく出来上がると思うのだが、後進を育てるのも映像業界として必要なことだし致し方ない。

仕事を教えるよりもまず映像のうんちくから教えていくことになったが、講師料がもらえるわけでもない。新人も含めて、カメラワークやアニメーションの基本から連日たたき込んでいくが、知識があればベテランと同格になれるような簡単な世界ではない。
実作業して初めて体験するバグやエラー、マシン内の回路やヴァージョンの違いによって起こる様々なトラブル。ベテランはそういったことを体験済みなので、対処法も身体で覚えている。格闘家と同じで、受け身すら知らない素人はすぐにあちこちケガをする。
あげくパソコンが焼けて、もうもうと白煙をあげたこともあった。
数年のキャリアを持ったスタッフはわずかに二人。
制作進行も途中で3人も替わった。
それでもコイツらにやってもらわなければ作品は完成できない!
教え込むしかなかった。
ちょっとでも経験値のある者には、次々参加してくる学生たちに仕事を伝言ゲームのように引き継いでもらわなければならないので、きつく指示することもあった。
新人にトップクリエイターと同じことが出来てしまったら、ベテランの存在理由もない。
彼等に出来ることは限られる。
絵コンテの内容も超技術を使わずともハイクオリティに見せられる方向性に自然と変わっていく。
納品ギリギリで間に合いそうもないカットは、本意ではなかったが内容を少々変更して、ビデオエフェクト処理で底上げを図ったりもした。


通常のアニメでは、1カットにおけるチェックは、レイアウト→原画→撮影処理映像、という流れで、間違いがない限り、最短で各1テイクずつの演出チェックで終わる。
しかしこの作品は3Dということもあり、レイアウト、カメラワーク、モーション全てが連動するため、流れが一方向ではない。
1カットで30テイクものチェックが必要になるカットも多かった。
全部で1200カットもあるため、三万回ものチェックをこなさなければ終わらない。
徹夜の作業になる日もあった。撮影処理を加えてみて初めて不都合が生じ、レイアウトの変更作業に戻ることもありえる。
カットも決められた担当者ではなく、新人に次々たらい回しにされるため、OKテイク直前にきて、保存された古いNGテイクの内容が復活してしまうことも日常茶飯事。
いやはや連日付き合わされる監督はたまったもんじゃない。


しかし、そうこうしているうちに学生たちは学校を卒業。
社員として入社してくる者もいた。
経験値のある新人はありがたい。ビシバシこき使ってやる!
と思いきや、やはり出来るヤツはもっと忙しい別作品の最前線に駆り出されていく。
また人材不足、そしてまた次の学生を養成!

逆境はまだまだ続く。



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その4>>映像救出歌劇


この作品の音楽は、歌も含めて完成までに2年も費やした。
歌がキーワードになっている物語ゆえに、作品とシンクロする音楽が必要不可欠だった。
OVAゆえに、劇伴なるBGMも無駄は許されない。

photo01たった3話しかない中で、作ってはみたが映像とマッチしないから使わずじまいという曲があったら、そこだけポッカリ音楽のないシーンになってしまう。
かといって、映像が完成するまで作曲家に待ってもらえるほどスケジュールにも余裕はない。
そのため、作曲家専用のイメージ画像を事前に作り、映像がなくても内容と音楽のズレが生じないよう配慮した。
監督自ら、音楽メニューを細かく書いて、曲の正確な時間は当然ながら、曲想やリズムの変わるタイミング、楽器編成や、その音色、トラックダウンによる別ヴァージョンを作成して、他のシーンにも流用させる方法までオーダーした。
通常の音楽メニューだと、「悲しい曲パターンA」「悲しい曲パターンB」としか書いてない場合も多いらしく、今回は注文が細かすぎて、さぞかし作曲家も頭を抱えたに違いない。
フルオーケストラのレコーディングだけで三回も録ったが、その度に演奏者や作曲家に、ああしてほしい、こうしてほしいと手厳しいリクエスト。
更には、ヴァージョン別の物まで入れると10曲も作った歌に関しても、映像内容とリンクさせるため、ほとんどの詞を監督自ら書き、劇中でキャラクターが歌うため、起用した声優全員に細かく歌唱指導した。

わずか3話分のOVAで、監督が音楽レコーディングに20回以上も参加するなんてことがかつてあっただろうか。
ちなみに自ら声優や歌唱も予算削減のためにこなした。
CDジャケットの構成や装丁なども、ブックレットのプチ小説同様、連動企画ゆえの大事な作業として、何度も何度も予算配分と格闘しながらオーダーさせてもらった。



ここまでこだわり、音楽プロデューサーに細部までディレクションすることを許してもらえたからこそ、映像と寸分も狂いのない5.1chミュージックが完成出来たのだ。
《やりたがり監督》などと卑下されるかもしれないが、これら全てノーギャラで同じことが出来るスタッフがいるなら連れてきてほしい。
予算は超えれば当然赤字だし、それが持続していけば会社も傾く。
限られた条件で良質のものを作るには、それなりの逆境を乗り越えるリスクも伴うのだ。
こうしてアムリは映像予算を一切削ることなく、超一級の音楽にたどり着けた。

最大の功労者は、2年も過酷な作業に付き合ってくれた作曲家・窪田ミナ嬢だろう。
英国王立音楽院大学院卒の超才女でもある彼女が、毎回レコーディングのたびに倒れる寸前まで全体力を使い切り、自ら全ての楽曲のピアノ演奏までこなしてくれたのだから、感謝の意に絶えない。
彼女とJVC敏腕音楽プロデューサーの全仕事は、発売中の美少女キャラ盤CD1「アムリとやっちゃおうよ!」、同2「すずとやっちゃおうよ!」、10月1日発売のCD3「ペリエとやっちゃおうよ!」、そして10月22日発売のサントラCD「みんなでやっちゃおうよ!」で聴けるので、是非その耳で《ここまでやらかした馬鹿な大人》のいい意味での仕事ぶりを確認してほしい。

ノーギャラついでに話しておくと、映像作業での監督料は当然ながらいただいてはいるが、 付随する作業へのディレクションについては料金が発生しないのが常である。

CDで使う挿絵、DVDジャケットやブックレットで使う画像などは、本編映像からそのまま抜き出したものはほとんどなく、新たに3Dモデルにポージングさせたり、CG空間に新規カメラを置いて様々な加工処理をやり直してもらっている。
通常の手描き2Dアニメではありえない作業量だ。
ゆえに、監督がある程度の指示やサンプル画像を用意しないと、CGワーカーも効率的な作業が出来ない。時には「コントラストを+50、明度を−15に設定」等の細かい処理数値まで指示する。
止め絵1枚ですら、コンピューターグラフィックスの世界では、きちんと整理するのが大変なのだ。
映像は一流の領域にたどり着くまでに手間も時間もかかる。
一流を揃えた音楽ですら、今回は完成に2年もかかった。映像は3年で完成したが、正直、未熟なところは音楽に助けてもらったといっても過言ではないだろう。

感動できる作品に、いい音楽は必要不可欠。
映像と音楽のハーモニーが成功した時、作品としての完成度は一気に増すのだ。


次回いよいよ最終回《最終航海日誌》に続く!



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その5(最終回)>>最終航海日誌



最初からこうなることは予想していた。
無駄に予算を使ってしまわないよう、効率よく作業できる方法での作業フローを、CGIディレクターとともに会社に懇願してきた。
3D作品は、モデルや空間を完成させてから一気にアニメーション作成に入った方が早く終わる。
しかし、なにせ今まで2Dの手描きアニメばかり作ってきた伝統はそう簡単には崩せない。
絵コンテが終わったら即アニメーション作業に入らなければ、サボっていると思われてしまう。


コラム画像しかし、白紙を手で描いた絵で埋めれば完成する世界ではない。
水彩画に例えると、紙と筆はあっても、絵の具の製造待ち状態と同じになる。
いくら仮モデルと仮空間でアニメーションの動きを付けても、それは仮でしかない。
身長や腕の長さ、服装や空間の広さが決定された途端、辻褄が合わなくなる。
身長が高くなれば画面から頭がはみ出る。
腕が長くなれば掴んでいたはずの物が画面の外にはみ出る。
服装が変更すれば、体のいたるところに袖やリボンがめり込む。
決定された空間にキャラを配置してみたら、だだっ広すぎて、奥に何があるのやらサッパリ認識できない映像になってみたり。
最初に計算して作り込まなければアニメーション作業は結局全部やり直しになるのだ。
キャラ表や美術設定なしで、見切り発車してはいけない世界なのだ。


コラム画像水彩画だって最初に濃い色で塗り潰したらもうアウトだ。
「大丈夫です」とタカをくくって返事をしていた制作管理スタッフも、経験不足ゆえに、監督の猛抗議が、たんなるワガママか戯言に聞こえていたのだろう。
したがって全部やり直した。
まったくもって予算の無駄遣いだが、回り道を経験しておくことも人が生きていくうえでは必要なことだ。
しかし、未だに全部やりなおしたわけではない!と負け惜しみを繰り返す反省なき態度にはガッカリさせられる。
直接お金を出してくれたクライアントからしてみたら、たまったもんではないとは思うのだが…。
この作品は、様々な条件が重なり、宣伝もなかなか上手く回らなかった。
特番放送枠を確保したり、着ぐるみアムリちゃんを作ったりもしてくれたが、OVAはなかなか認知度が上がらない。
知ってもらえなければ、どんな商品でも売れないものだ。


元々は、キャラデのMA@YA氏とフリープロデューサー里見哲朗氏の3人で立ち上げた企画である。
業を煮やした里見氏は自腹で放送枠を買い、テレビでCMを流した。
新しい事務所を構えるために貯めた彼の資金は、そのためだけに消えた。
使いこなせる3Dソフトの違いから、本編カットの作成に参加出来なかったMA@YA氏も、最終話のラストシーンを丸々担当することで、環境の壁を越えてくれた。
さすがは熟練された3D絵師。
生き生きとしたキャラクター描写に、新人スタッフたちも感化され発憤してきた。
過去に仕事したことのあるスタッフもヘルパーとして加わってくれた。
思わぬ障害が生じ、作品存続のために政治的な戦いに挑んだ者もいた。
監督は3年もの作業で満身創痍、心身ともにボロボロだったが、船が沈まぬよう最後まで耐え抜いたクルーたちに救われた。
航海の最終日まで怒鳴りっぱなしの船長だったが、睡眠時間を削って頑張り続けた若者たちには感謝していた。
実績も実力も乏しかったが、彼等には上昇志向があったからだ。打ちのめされても蹴られても、再び立ち上がる若き精神力と体力が彼等にはあった。
それは船長にとって未来への希望の光だった。

コラム画像

完成と妥協は同意語かもしれない。
だが、妥協なる完成を迎えた我々にも、きっとまた次なる航海が待っているはずある。
映像業界全体が3DCGによる新製法を模索する上で、道標としての技術的な布石になれれば、たとえ今回が妥協に終わっても、必ずいつか敗者復活の戦いに参戦できる。 社員であるスタッフは、大仕事を終えた後も、すぐに新たな作品の仕事を任され休む間もない。
そして、作品が終わるごとに席を奪われ、制作スタジオから出て行かねばならないさすらいのフリーディレクターである自分にも安住の地はない。
我が往くは荒野などという生やさしい世界ではない。
コンパスも利かない大波が荒れ狂う大海である。
『星の海のアムリ』はそんな大海を越え、ニューヨークコミコンやフランスのイベントなどで上映されてきた。
宮崎駿監督のような大絶賛はまだない。
だが母国日本でも、いつの日か、この作品の奥底に練り込まれている大切なメッセージを読み解いてもらえる日が来ることを信じてやまない。


船長として3年間の航海を終え、自分自身を鍛えてくれた劣悪な環境、身を犠牲にして作品を守った猛者、右も左も解らずに頑張ってくれたクルー、応援してくれたファン、観ていただけた多くの方々に感謝して、次の一言にてこの航海日誌を締めくくりたい。



また次なる星の大海でお逢いしましょう」監督 米たにヨシトモ




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